これで「明治天皇御大葬 鹵簿實寫繪はがき(東京部)」のご紹介を終わります。
そろそろ、鍼灸院らしい記事も書かないといけませんね(笑)
大阪府豊中市の若林鍼灸院HP
古絵葉書シリーズの二回目は、明治天皇が崩御された際の葬列を撮影したものです。
東京で撮影されたものと、京都の桃山で撮影されたものがあります。
今回は、東京編の一部をご紹介します。
タイトルにある「鹵簿」とは「ろぼ」と読み、天皇陛下や皇族の方々の行列のことです。
絵葉書の枠の左下に「謹寫團體若林謹製」と袋に「若林獨立軒製版所發行」とあります。
私の祖母に確認したところ、「(祖母の)祖父が明治天皇の大喪の礼を撮影したと聞いたことがある。」と申しておりました。
因みに写真の順番は、ランダムに紹介しております。
次回は御大葬の東京編の残りをアップロードします。
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まず一回目は、「對(対)翠閣」という旅館の絵葉書から紹介します。
(画像をクリックすれば、拡大されます。)
今も同名の旅館が存在しているようですが、この写真と同じ旅館なのでしょうか?
因みに宛名面の切手を貼り付ける位置にある「獨」マークが、当院も使用している若林獨立軒のトレードマークです。
以上です。
※時折、当院へ獨立軒についてお尋ねになる方がいらっしゃいますが、当時を詳しく知る者は既に他界し、私の祖母や祖母の従姉妹が少しは知っているのでしょうが、何分高齢ですので、写真館や絵葉書についての情報は不詳です。
また機会があれば、古絵葉書を紹介して参ります。
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当院の以前の屋号は「獨立軒若林鍼灸院」を使用しておりました。
ただ長すぎるし、厳めしいイメージがあるので、現在は「獨立軒」を外し、「若林鍼灸院」として営業しております。
この「獨立軒」とは、私の祖母の祖父(名前は「若林耕化(耕七)」)が大阪市西区京町堀で営んでいた写真館の名称です。
写真館では、コロタイプ(写真印刷)を早い段階から取り入れ、写真の他に絵葉書などを発行しておりました。
これから数回に渡り、私の手許にある獨立軒が撮影し印刷した絵葉書をご紹介したいと思います。
(たまたま絵葉書のデータが欲しい方がいらっしゃったので、スキャナーで取り込みました。せっかくなのでブログでもご紹介します。)
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